ams

a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2012-02-20

荒野のロザリオ、聖母の微笑み

a.m.s.恵比寿プレイスです。

これは、あれだ。ラテンアメリカ大陸のカトリック的な匂いを濃厚に感じるけど、違うかしら?とは言っても、解説者マサ子37歳、生まれも育ちも京浜地区帝釈天の産湯を使いなので、ラテンアメリカのカトリックとは何かということを肌身では理解していないので、カタコンベの聖者の髑髏、荒野で自ら鞭打つ修行僧、行き倒れた聖者の亡骸、異教徒と戦う十字軍、新大陸の宣教師、ロザリオの聖母マリア、が並列になって、カオスになって頭に浮かぶ。


そこにくると、生まれも育ちも京浜地区純国産土着日本人のわたしの利点は、「正月」って言われればその意味するところ、すなわち親戚のおじさん西より来たりて一杯一杯また一杯、マサ子ちゃん会社は何してるの?ということがおせちの重箱のゴマメや栗きんとんや伊達巻、誰も手をつけない紅白のカマボコとともに肌身に沁みて思い浮かぶし、「お盆」て言われりゃ、真夏のじりじりする暑さの中実家に帰れば東より親戚のおばさん来たりて、マサ子ちゃん 彼はアレなの?と言われるのが、空洞化した通勤電車やお坊さんが来るから事前につけておいたクーラーや、盆提灯のうすぼんやりした空色や、なすやきゅうりの精霊馬や、テレビのニュースで放送する終戦記念の式典や甲子園とともに肌身にしみて思い浮かぶし、じいちゃんの葬式だって言えば精進落としのエビの天麩羅や、墓場に向かうマイクロバスや、家に集まる田舎の親戚や、引き出物のお茶や、ご霊前の袋やお題目を挙げるおばあさん達が、肌身にしみて思い浮かぶ。このお題目ってのも、私の頭の中には、えらい純国産なお題目が思い浮かんでいるけど、きっとラテンアメリカの人がお題目と聞いて思い浮かぶお題目は、また何か違うものなんだろう。でも彼らは彼らで、復活祭って聞いたら、こういう風にリアルに思い浮かぶ、田舎の親戚のおじさん的な何かがあるんだろうね。思うに、どんな国でどんな都市でどんなシティーライフを満喫するどんな美男美女だって、おもろくもどうしょもない田舎の親戚のおじさんの一人や二人いるだろうし、そういう意味では親戚問題ていうのは根深く、遍く普遍なんだろうし、人間の活動て、場所や人種が違ってもそうは違わないだろうから、きっとわたしが上記に述べたような、「お盆やお正月に親族が集まって何かを祀って、何かを食べ、何かを会話する」行為のラテンアメリカ版カトリック的行為がきっとかの地にはあるんだろうね。何かそういうのって興味あるよね。

それでは。