ams

a tokyo based manicurist, hatsuki furutani's salon works from a.m.s. ebisu place in shibuya

2013-05-08

牡蠣 毒茸 緑の湖沼

a.m.s.恵比寿プレイスです。

こんにちはー。今日のネイルは森に眠る湖沼地帯の緑のネイルなのか。かわいらしいハイホー的毒キノコ付。



ちなみに気持ち悪い方の毒キノコが良い人には、気持ち悪い毒キノコもある。笑い茸的な狂気の安土桃山・本能寺的毒キノコ。


こっちは毒キノコ食べたら完全にあたっちゃった系。


ところで、わたし解説者マサ子(仮名、38歳)は、胃腸と体の強いのだけが取り柄で今まで生きてきたような女で、何か食べ物に当たったこととか、お腹が痛くなったこととか、ぴーぴーしてしまったりとか、戻ってきてしまったりとか、頭が痛かったり、歯が痛かったりした事が人生において経験がないので、痛みとは何であるのか、「あたる」とは一体何がどうして「はずれ」ではなくて、「あたり」なのか、全く皆目見当もつかないんだけど、牡蠣にあたった人の話は恐ろしい。牡蠣にあたった人から話を聞くに、おそらく、「牡蠣にあたる」とは数ある食中毒の中でも最も苦しく、普段健康に暮らしている人間が罹患する感冒や流感や各種伝染病のうちでも最も苦しいらしく、「とにかくもう死ぬかと思った」っていう事を、手を変え品を変え状況描写を行い、言葉を尽くして非常に強い情熱を以て、「いかに苦しかったか」ということを、熱心に伝えようとするんだけど、どうも人間あまりにも苦しいと、10人に聞いても100人に聞いても、多彩な経験や表現があるわけではなく、表現はすべて同じで、「いやーもう死ぬかと思った」とか、「いやああれは苦しかったわぁ・・」とか、もうむしろ言葉の表現ではなくって、ていうか牡蠣の苦しみの前では言葉や表現を失い、表現を超越する程の苦しみぽい。恐ろしいのは、言うことは皆さん「いやもうあれは 苦しい」っていう事で、同じなんだけど、その言葉や、気持ちのこもり具合、言い方までもぴったり同様な感情表現をする所が恐ろしい。

わたし解説者マサ子(仮名、38才)の母トメ子(仮名、64歳)も牡蠣にあたった てか外れたって言うべきだと思うんだけど、まあともかくあたった事があって、いかに苦しかったかという話を少なくとも5回は聞いているんだけど、毎回ストーリーも言う事も、ストーリーの山場、すなわち 這う這うの体で東京駅から京浜東北線に乗って、あまりの苦しさに席に横たわってやっと家についたら家の鍵がしまっていて、鍵が見つからず玄関の前にうずくまっておばあさんが帰るのを待ったとかいうかわいそうな話で、てかそんなに苦しいなら 東京駅からタクシーに乗れば良いのにって言ったら、それを思いつかない程苦しかったのだとかいう話で、前の日にみんなで牡蠣食べたのに私だけあたったとか てか まあ はずれた。なんだけど、ともかく あたったとかいう話で、だいたい牡蠣にあたった人の話は、”前の日にみんなで牡蠣食べたのに自分だけあたって・・”という一文が必ず入るみたいなんだけど、とにもかくにも あれは苦しかった とのことらしい。他にもいろんな 牡蠣にあたった人からお話を聞いたけど、みんな同じ口調で同じ感情のこもり具合でお話をされるので、ここまで、人に同じように同じことを言わせてしまう「牡蠣にあたる」っていう事象は大変恐ろしいと思う。肉体的な痛みや苦しみだけの話をすれば、女の人なんて出産の方が絶対苦しいと思うんだけど、それよりもみんな牡蠣がいかに苦しかったかの方が意見が一致しているよね。

それでは。